アズマ工業の歴史と吾妻箒

明治29年(1896年)、豊かな自然に囲まれた浜松で、アズマ工業は荒物問屋として創業しました。
アズマ工業の箒作りは、2代目計夫が箒生産部門を併設したことに始まります。
特に戦時中の原料難の折、竹の繊維を取り出した代用箒を考案し、人々の生活を支えたことで一躍脚光を浴びました。
戦後、掃除機が急速に普及し始める逆境の中で、「掃除機が普及しても、すべての箒がなくなるものではない。」「伝統を尊重しつつ、真に喜ばれる箒を作ることで支持を得られるはず」という信念の下、専門性を高めるために問屋部門をすべて閉鎖し、座敷箒の専門メーカーとして生きていく決断を下しました。

まさに背水の陣でしたが、この時、アズマ工業の社運をかけて考案した箒が、今でいうカバー箒です。
それまで座敷箒といえば、職人が編み上げる手編み箒でしたが、女性には重く、一定の品質を満たさない手編み箒は穂が不均一で、ほうき草特有の掃き心地もありませんでした。
それらを改善すべく、重さの原因であるほうき草の軸部分を切り落とし、穂先だけを均一に揃えたものを結束するという全く新しい箒を開発し、それを「吾妻箒」と名付け、全国に向けて発売を開始しました。
すると、軽さとしなやかさが受け入れられ、縮小していた座敷箒の市場を復活させる原動力となりました。

吾妻箒はその構造上、ほうき草のしなやかさが生命線です。
そこで、契約栽培を行い、収穫されたほうき草を厳選し、それらをランク別に分け、箒の仕様により穂を使い分ける管理体制を導入しました。
また、各地の土壌に合ったほうき草を栽培するため、品種改良にも努めてきました。
日本で物価が高騰してからは、適正な価格を実現するため海外へほうき草の栽培地を移行し、1968年からインドネシア、1986年からはより肥沃な土地であるタイで、ほうき草の栽培を始めました。
日本で培った技法を現地の農民に直接指導し、契約栽培を行うことで、良質なほうき草を継続的に収穫できるようになり、現在に至っています。

そして今

カバー箒と並行して、日本伝統の手編み箒も手掛けてきました。
手編み箒の品質と技術維持のため、タイに職人を派遣し指導を行うことで、確かな技術を身に付けた箒職人がタイで誕生し、その技法は脈々と受け継がれてきています。

創業120周年を翌年に控えた2015年、厳選したほうき草だけを使用した箒シリーズを新生『吾妻箒』として発売することと致しました。
50年以上続けているほうき草の栽培管理で可能になった『吾妻箒』のラインナップには、以前吾妻箒と呼んだカバー箒だけでなく、タイで30年に渡り受け継がれてきている手編み箒を加えております。
また、現代の建築様式に合わせたカラーバリエーションという新しい切り口の箒も追加しました。
もちろん、種類豊富な座敷箒すべてに、歴史に裏打ちされた良質なほうき草を使用しております。
『吾妻箒』・・・その掃き心地をご堪能頂けましたら幸いです。