ホウキは、古くは実用的なお掃除道具ということ以上に、神聖なものとして考えられており、箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると言われていました。
日本最古の書物『古事記(712年 奈良時代)』には、「玉箒」や「帚持(ははきもち)」という言葉で表現されており、実用的な道具としてではなく、祭祀用の道具として登場しています。

実用的な道具として、ホウキに近い形で歴史に登場したのは平安時代で、宮中で年末に一年の煤を払うすす払いの道具として使われていますが、鎌倉時代になると、禅宗ともつながり、修行の一環として掃き掃除に使われるホウキが紹介されています。
室町時代になると、ホウキ売りという職業が生まれており、広くホウキが使われるようになったことがうかがえます。

「七十一番職人歌合【1500年(明応9年)末ごろ】」の「二十一番」。
左がホウキ売り。

※写真は国立国会図書館ウェブサイトから転載しています。

文献に紹介されているホウキの形状から竹箒(たけほうき)だけは推察することができますが、当時のホウキのほとんどがどんな繊維から作られていたか不明で、ホウキ売りという職業があったとはいえ、一般には手近な素材で各自が作っていたのではないかと推測されます(江戸中後期以降になって初めて、どのような素材でホウキが作られていたかを示す資料が見つかっています)。

ただ、ここで押さえておきたいのは、日本においては「お掃除」を単にきれいにする行為とみなすのではなく、神聖な行為もしくは精神面を高める行為として位置づけ、その中心にホウキがあったという点です。
現在にもつながる考え方が当時から育まれていたことに驚きを隠せません。

時代が下り、江戸時代になると棕櫚箒(しゅろほうき)と竹ホウキがよく使われていたようです。
棕櫚職人が江戸・大阪に現れ、ホウキを編み上げていました。
棕櫚ホウキが普及した背景には板間が広まったことがあります(毛先が柔らかく、しなやかな棕櫚は板間の掃除に適していました)。

さらに時代が下り、それまで武家階級にしか普及していなかった畳が中産(庶民)階級にも広がった頃(おそらく1800年以降)、座敷ホウキが江戸で生まれました。
畳を掃くには目に食い込む穂先が適しており、その条件を満たす座敷ホウキが考案されたようです。
座敷ホウキのことを東箒(あづまほうき)とも言うように、関東を中心に急速に広がり、相対的な視点で言うと、東(江戸)は座敷ホウキ、西(大坂)は棕櫚ホウキがそれぞれ好まれていました。

これはあくまでも推測ですが、棕櫚ホウキの起源は中国にあると思われます。
中国から棕櫚の使い方(ホウキ含め)が日本に伝わり(おそらくは遣唐使の時代)、日本でその編み方等が磨き上げられたものと思われます。a,bra. 中国では現在も棕櫚ホウキが多く使われ、その形状は日本に昔からある棕櫚ホウキに似ています。

明治維新を迎え、明治40年前後に初めて純外国産の繊維を利用した赤シダホウキが開発されます。
赤シダホウキの繊維は、パルミラ(インド・スリランカが主な生産地)の木の葉柄部分から繊維を取り出し作られています(主には土間や庭先を掃いていたようです)。
赤シダホウキが作られた背景には、棕櫚ホウキの需要に供給が追い付かず、その新たな供給先を海外に求めたことにありますが、この赤シダホウキの登場が棕櫚の衰退につながってしまいます。

戦後の昭和30年代以降はプラスティックが急速に広がり、プラスティックの穂を使った化繊ホウキが作られ、昭和48年(1973年)には、インドネシアを原産とする黒シダホウキ(ベランダや玄関を掃くのによく使われています)が開発されるなど、次々に新たな繊維を用いたホウキが作られるようになりました。

ちょうどその頃、日本の流通が大きく変わり、全国展開する小売業が登場し、それまで各地の特色があったホウキの多くが淘汰され、全国展開に乗ったホウキが市場を席巻しました。
これに伴い、販売量も格段に上がり、生産も海外へ移行され、日本でホウキを生産している方はごくわずかとなっているのが現状です。

また、住宅構造の変化がホウキの歴史に与えた影響も見逃せません。
板間から畳に移行する段階では座敷ホウキが生まれ、土間から玄関に代わる段階で黒シダホウキが生まれるなど、それぞれの環境に合うホウキが求められてきています。
そして、掃除機の登場、これによりお掃除そのものが大きく変わり、お掃除の「主」であったホウキが、「従」に代わり現在に至っています(掃除機でしない箇所または場面のお掃除にホウキが使われています)。


最後に・・・

記録にはありませんが、おそらく平安時代よりも前から、生活に密着したホウキのようなものは存在したのではないかと思われます。
建物を建て、住空間を作り上げた瞬間から、程度の差こそあれ、キレイにしたいという気持ちが芽生えるのではないでしょうか?
その証拠に、世界中の住環境で「掃く」という行為がなされ、現地特有のホウキが使われています。
そこに精神的な側面が加わった点が日本と諸外国の大きな違いで、そのことが、日本のホウキの多様化につながってきているように思えます。
1000年以上の時間を積み重ねることで、「掃く」という行為自体に普遍的な価値が育まれていっているように思えて仕方がありません。