-ほうき草栽培記事一覧-

アズマとゆかいな仲間たち

2022/04/25

今年のほうき草プロジェクトもいよいよ開始間近。

景気づけにと「アズマとゆかいな仲間たち」で久しぶりに食事に出かけました。

蔓延防止が解除されたとはいえ、用心するに越したことはありません。

最小限の人数3人で久しぶりにお酒を交わし合います(3人とも3回目のワクチン接種は終わっています)。

 

「いいよ、手伝うよ」

 

毎年さりげなく言って下さる頼もしい言葉。

ほうき草栽培を一人でやるにはあまりにも手間が掛かりすぎます。

仲間と冗談を言い合い(その日の元気なうちは冗談ばかりで、30分もすると互いに黙々と)、共に作業できることは最高の幸せです。

本当に不思議なのですが、仲間がそこにいるというただそれだけで、あの暑さにもあの重労働にも気後れすることなく立ち向かえます。

 

 

「酒を交わすは心を酌み交わすこと」

 

今年1年乗り切れるパワーを充電することができました。

さぁ、やるぞー。

自分らしく咲く大切さ

2022/04/18

時機は遡ります。

 

冬を経て最初に咲くのが梅の花。

私はこの花が大好きでいつもゆっくり眺めます。

ただ切ないのが梅の後に桜が咲くことです。

日本人が一番注目するのは春の訪れを感じることができる桜の花かもしれません。

桜が咲く頃には、開花まであと・・などとニュースにもなります。

でもその最中、梅の花はそっと散っていきます。

 

 

朝の散歩の途中、散りかけた梅の木に、気高く咲いている梅の花を見つけました。

梅の花の皆が散っても、桜が咲こうとしても、我想いのままに咲いています。

 

きっとそこに目が行く人は少ないかも知れません。

でも自分が自分らしく咲くことが大切なのだと思います。

 

さぁ、いよいよほうき草栽培のスタートです。

半田の箒草畑

2022/04/11

こちらの畑も見ておきたかった畑、半田畑です。

キレイに耕されていました。
ここで毎年箒草と紅あずま(芋)の栽培を行っています。

 

「きっと今年もアズマさんが箒草を作りたいというからちょっとやっておくか」などと言っているT氏の姿が目に浮かびます。

 

 

人は人に対し関心を持つことは難しいと聞いたことがあります。
「好き」の反対語は「嫌い」ではなく「無関心」。

思っていただける、ただそのことだけでも感謝です。

 

さぁ、これから半田畑の1年が始まります。
Tさん、本当にありがとうございます!

春野の箒草畑

2022/04/04

東海道五十三次 濱松・冬枯ノ図のほうき再現プロジェクト」をお読みになった方はご存知かと思いますが、2015年弊社が箒草栽培を約50年ぶりに日本で行うにあたって、JA様の多大な協力を得ました。

 

一方、そのノウハウをしっかり習得しなければと、実はJA様と取り組んだ内容を異なる畑で実践しておりました。
それがほとんど日の目を見ることがなかった春野の畑です。
浜松市街から車で1時間にところにある山間の小さな畑。
これが私の箒草栽培の原点です。

 

 

歳をとると、友人が増えることはなかなかありません。
不思議な縁ですが、私には当時70代の友人が、しかも親友とも言える友人がおりました(今も3か月に1回はお会いしていて、つい先日も『生まれて初めてピッカピッカの80代になりました』とのこと)。

 

「畑で箒草を作りたい」と言ったところ、「山下さんがやりたいのであればいいよ」と二人で拓いたのが春野の畑です。

草ぼうぼうの土地を耕し肥料をまき、熱射病になりながらも雑草を取り除き、多分今までで一番上手に箒草を仕上げました。
ところが収穫間近に猪にやられ、すべてがパーとなりましたが。

 

でも想い出はしっかり残っています。
今回、箒草栽培プロジェクトを始動するにあたり、どうしても見ておきたかった場所です。

 

 

採算が取れない箒草栽培プロジェクトをなぜ続けるのか。

きっと、人との縁が育まれ、人に感謝し、人としての原点に立てるからかもしれません。
そんなことを想っています。

ほうき草栽培はじまりの思い

2022/03/28

伊藤の退職を機に、再びほうき草栽培及びブログを担当することになりました山下です。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

ブログ第1話をどのような内容にしようかと迷いましたが、一つの区切りとして、弊社のほうき草栽培プロジェクトの始まりを振り返りたいと思います。
ほうき草栽培プロジェクトを始めたのは2015年、創業120周年を目前に(アズマ工業の創業は1896年です)、アズマ工業が飛躍する原動力となった座敷箒についてもう一度深掘りしようというところから始まります。

 

 

そもそも座敷箒に使われている箒草の栽培は江戸時代にさかのぼります。
朝鮮通信使によってもたらされたとも言われる箒草の栽培は江戸界隈で行われ、座敷箒が隆盛を極めるにつれて、関東一円に広がります(笑い話とも受け取られるかもしれませんが、戦前車を持つことができたのは箒職人とあと誰々と言われたこともあったそうです)。

 

ところが戦後、掃除機の普及により箒は主役の座を奪われ、また、大手量販店が台頭したことで箒職人は凋落の一途を辿ります。
というのも大手量販店は、同じ規格のものを大量に仕入れることでコストを引き下げ、販売力を高めました。
ですが、腕を磨いた箒職人が作る箒は、その職人特有のものであり、生産量も対応できません。

 

 

一方、箒職人の苦難は箒草栽培の衰退にも直結します。
プロジェクトを始動した2015年においては、ほとんど箒草の栽培が行われず、箒草の種を入手することすら難しい状態でした(弊社でも、日本でのほうき草の栽培はコスト高と、そもそも担い手がいないということで、海外で箒草の栽培をせざるを得ず、1960年代後半~1970年代前半にかけて拠点を海外に移しています)。

 

箒草栽培プロジェクトを進める途中でこの状況を目の当たりにし、創業記念として始まったプロジェクトではありましたが、日本で始まった箒草の栽培を途絶えさせるわけにはいかないと思い、その後も意地で(笑)継続しています。

 

話が長くなりました。
この辺りのことは「東海道五十三次 濱松・冬枯ノ図のほうき再現プロジェクト」や「箒特集」にまとめています。
興味がございましたらぜひご一読ください。

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